黒沢健一 ソロとして5年ぶりの新曲 ついにiTunes storeで配信決定!

1998年

そういったアイデアを実現すべく、黒沢は遠山裕と共に代官山の事務所に臨時に作成したスタジオに通い、地道な作業で楽曲を完成させてゆく。

完成した楽曲を聴いた当時のポニーキャニオンのディレクターだった氏家浩一は黒沢の楽曲の中に込められた「ホーム・レコーディング」的要素を強化するため、アナログレコーダーのあるスタジオでの作業と、エンジニアにポール・マッカートニーや、エルヴィス・コステロの作品を手掛けた事で知られるジョン・ジェイコブスを提案、様々な条件からスタジオはロンドン郊外にあるエデンスタジオが選ばれ、その地でザ・バンドの「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク」よろしく気心の知れたミュージシャンとの合宿レコーディングが開始される。

日本でのスタジオ環境とは違い、かなり昔に建てられた大きな民家を改造したようなスタジオの多いイギリスでのレコーディングは、黒沢をリラックスさせ、しかもスタジオの隣に併設されたフラットにメンバーと共に住み込んでのレコーディングは、まるでプロデビュー以前の環境での音楽製作を思い起こさせた。

それと同時にアナログレコーディングという性質上、ボーカル録りも含めて細かな編集の効かないある意味ミュージシャンとしての力量を試されるレコーディング方式は当初の目的であった装飾のない人の手で創られた温かみのあるサウンドを実現するに当たって、大きな効果を発揮し、レコーディング開始早々から黒沢のソロとしての音楽的キャラクターを決定付けた名曲「WONDERING」等を生み出すなど、大きな成果を上げる。

そうして完成した数曲のマスターテープと共に帰国した黒沢はその成果をアルバムにすべく、東京でのセッションに取り掛かる。ニューヨークから迎えたトニー・レヴィンを始め、日本を代表するミュージシャンの集合体で当時自分達のアルバムをリリースしたばかりのDR.STRANGE LOVE、L⇔R時代からのエンジニア、山内隆義などのチームと共に当時ホームグラウンドとしていた四谷のサウンドインスタジオでのセッションを開始する。このセッションで録音された「Rock‘n Roll」等の楽曲はロンドンでレコーディングされたある意味「デリケート」な質感を持つ楽曲とは対を成し、ともすればアルバム全体の印象がアナログ特有の温かな質感で覆われてしまいがちな部分に絶妙な緊張感を与えているのも特筆すべき所であろう。



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